AI創薬企業のElixは、AI創薬プラットフォーム「Elix Discovery」の提供を6月から開始しました。化合物プロファイルの予測、構造発生、アクティブ ラーニング等の機能を提供し、創薬化学者が数クリックで最適な機械学習モデルを自動作成できる本プラットフォームは国内外で大きな注目を集めています。日本ではすでに科研製薬株式会社が本サービスの利用契約を締結し、NVIDIAのGPUと合わせて自社内に導入することで、AI によるデータ ドリブンの創薬研究プロセスへの変革を進めています。
創薬は人生をかけるに値する
Elixは2016年、ディープラーニングに特化したスタートアップとして創業し、当初はAI活用を中心に画像や自動運転など様々な分野を手がけていました。2017年にスタートアップを支援するNVIDIA Inception プログラムに参画し、NVIDIAによる技術やマーケティングのサポートなどを通じて連携してきました。
幅広いビジネス分野をAI創薬に絞り込んだ背景について、Elix共同創業者/ CEO である結城伸哉 (ゆうき しんや) 氏は次のように振り返ります。「創薬は開発に膨大な時間とコストがかかり、成功率も低いといった課題がありますが、それらを解決するためのもっとも有望な手段であるAI創薬は取り組む意義が大きいです。また、創薬はサイエンスの深い理解と高い専門性が求められる領域であり、AIを専門とする人には参入障壁が高いです。その逆も同様で、特に日本にはほとんどプレイヤーがいない状況です。AI創薬は非常にチャレンジングかつ意義が大きい分野だからこそ、人生をかけるに値するテーマだと思いました」
製薬企業の課題に応える、コンサルを含めたシームレスな統合プラットフォーム
製薬企業がAI創薬に取り組もうとした際の課題として、人材やノウハウが決定的に不足している点を結城氏は挙げています。そもそも「AIとは何か」ということから、必要なデータの量や種類とその前処理方法、適用すべき機械学習モデル、得られたデータの分析処理方法など、未知の壁にぶつかります。また、現在AI創薬のための様々なツールやソフトウェアは断片的には存在しますが、導入しかけたツールを使いこなせず、頓挫することも少なくありません。
「そこでAI企業と組むことが考えられますが、AI企業は一般的に秘密主義であり、どのような手法を使っているのか共有されないことも多いです。化合物リストだけを渡されることもあり、自社にノウハウが蓄積できないため、製薬会社は外部と組むことに消極的になりがちです」と結城氏はこれまでの製薬会社へのヒアリングを振り返ります。
Elix Discovery はこのような課題を解決するためのAI創薬プラットフォームです。創薬に必要な様々なモデルがシームレスに繋がって動く統合型のシステムであることが特長で、コンサルティングおよびノウハウの提供についてもElixが全面的にサポートします。「我々はソースコード以外のすべての情報を出し惜しみなく提供し、より早くノウハウが蓄積できるよう製薬会社のメディシナル ケミストやインフォマティシャン(計算化学者)を支援します。また、企業が自社独自のプラットフォームを構築する場合と比較し、コストや人材開発、アップデート等に悩まされることなく、迅速に研究を進められることも大きなメリットです。」
このような、創薬のための統合型プラットフォームで、日本語を含めたトータルサポートを提供するソリューションは世界的に見ても唯一かもしれません。Elixでは国内企業に向けた日本語によるサポートはもちろん、社内公用語を英語とし、多様な国籍の人材を積極的に採用しているため、海外に事業拡大した際も同様のサービスを提供することが可能です。
化合物プロファイル予測、構造発生、アクティブ ラーニングの機能を誰でも操作可能なUIで提供
Elix Discoveryは、低分子化合物のヒット探索からリード最適化まで幅広く対応しており、主な機能は3つあります。
1つ目は化合物プロファイルの予測です。調べたい構造情報を入力すると活性、物性、ADMET(吸収・分布・代謝・排泄・毒性など薬物が取り込まれてから排泄されるまでの一連の過程)を予測します。
2つ目は構造発生です。所望のプロファイルを持つ化合物の構造を生成する機能です。逆問題を解くことで、活性・物性・ADMETに加え、合成容易性等を考慮して化合物の提案が行われます。
3つ目のアクティブ ラーニングは、少ないデータで効率良く学習するための機能です。AIはデータ ドリブンのアプローチですが、新しいプロジェクトにはデータは存在しません。アクティブ ラーニングによってラベルづけを行い、少ないデータからも学習し、所望の化合物に効率良くたどり着けるようにします。(アクティブ ラーニングは現状では共同研究としての提供となっています。)
これらの機能を、機械学習の詳細を知らない人であっても操作可能な、直感的なUI/UXで提供します。例えば、クリックを進めるだけで最適なモデルが選択されるようになっています。もちろん細かい点を自分で調整したい人にはそれも可能です。学習結果は様々な形で閲覧できますし、化合物をリスト化して絞ってくこともできます。また、データの分布を可視化して理解することもできます。UIはクライアントからのフィードバックを受けながら常に積極的に改良されており、また、既存システムへの繋ぎこみのサポートも行っています。
AIは重要な技術ですが、一方、AIが創薬プロセスのすべてを解決するまでの道のりは遠いです。Elix Discovery はAIによってケミスト(医薬品合成化学者、メディシナル ケミスト)の能力を最大限に引き出すことを目標としており、彼らが機械学習の複雑な部分に煩わされることなく最新のAIが使えるように工夫されています。
NVIDIA GPUでディープラーニング モデルの構築を高速化
Elix Discovery は製薬会社の希望に応じてクラウドでもオンプレミスでも導入可能ですが、やはり創薬データの機密性の高さからオンプレミス型を好まれる製薬企業が多いです。その場合には、 NVIDIA A100 TensorコアGPUをはじめとしたNVIDIA GPU搭載のサーバーを用意し、そこにElix Discovery のソフトウェアをインストールして運用します。
Elix Discovery において、GPUのコンピューティング パワーは特にディープラーニング モデルのハイパーパラメータの自動調整に効果を発揮しています。機械学習モデルにはアルゴリズムの挙動を設定するハイパーパラメータが多数あり、Elix Discoveryでは最適な出力のためにこのハイパーパラメータを自動調整します。この過程で、数百のモデルを構築するため、膨大な計算量を必要とします。GPUによって計算を高速化することで、モデルの構築時間を大幅に短縮し、その分、さらに多くの計算が行えるようになります。「計算力があるからこそ、細かいことを気にせず学習できる」と結城氏は言います。モデルはクライアントのセキュリティ ポリシーに合わせて常にアップデートされており、開発スプリント(周期)は3週間から4週間を設定しています。
RAPIDSソフトウェアで古典的な機械学習モデルも高速化
また、Elix Discovery ではNVIDIAが開発しているソフトウェア ツール、RAPIDSも活用されています。RAPIDSはデータサイエンス パイプライン全体をGPUで実行するためのオープンソース ソフトウェア ライブラリとAPI のスイート、すなわち複数ライブラリの集合体です。Elix Discovery で活用されているのは、具体的にはcuMLという機械学習ライブラリです。
cuMLは、従来はCPUでしか処理できなかった古典的機械学習モデルをGPU上で動かせるように前処理するために用いています。古典的機械学習モデルはディープラーニングに比べるとサイズが大きくないですが、それでもデータ量に応じて処理時間も増えます。そこで計算時間を短縮するためにGPU上でcuMLによる計算を行えるようにしています。
このように、Elix Discovery はNVIDIAのGPUおよびソフトウェアによって豊富な計算資源を確保することで、より優れたモデルの生成が可能になり、新規の物質をより多く探索できるようになります。
NVIDIA DGX Stationで自社内でも研究を加速
Elixは自社内にNVIDIA DGX Stationを導入し、Elix Discovery を活用した研究や事例開発に取り組んでいます。例えば、大量の化合物から最適なものを絞り込むバーチャル スクリーニングでは、実際に特許が取得されている有望な化合物を絞り込むことができました。特筆すべき点は、活性の予測値に加えて「信頼度スコア」を考慮することで有望な化合物を同定できることです。この信頼度スコアを考慮しないと、明らかにドラッグライクではない化合物が出てきてしまいます。
また、Elixは、Elix Discovery の構造発生モデルの機能の有効性を示すため、アルツハイマー型認知症およびレビー小体型認知症の症状進行を抑制する既存薬であるドネペジルの骨格を持つ化合物を再発見した事例も公開しています。
Elixはこのような研究で得られた最新の知見やノウハウをお客様に惜しみなく提供しています。
製薬会社にとってAI創薬は「今がアクセルの踏みどき」
Elixは今後、国内でのElix Discoveryの存在感を高めることを目指し、さらには海外展開も視野に入れています。また、カバー領域に関しても、創薬バリューチェーンの中で、よりアーリーステージの標的探索や逆合成解析など、顧客のニーズを汲みながら段階的に広げることも検討しています。
結城氏は製薬会社に対して「今はアクセルの踏みどき」だと強調します。「どれだけよい結果が出るか分からなかった数年前とは今では、状況が異なります。現在ではAIによって創出された新薬候補が臨床試験に進んだ事例がいくつも登場しています。役に立つことが分かってきているのです。つまり、まだAI創薬に取り組むことを躊躇している製薬企業にとって、今はリスクの低いタイミングであり、アクセルを踏む絶好のタイミングだと思います。」
このように、AI創薬市場の拡大を視野に入れ、ElixではElix Discoveryの普及を目指すと共に、業界を盛り上げていく人材を積極的に募集しています。AI創薬に強い関心のある方、AIエンジニアやメディシナル ケミスト等としてAI創薬スタートアップでのキャリアを切り拓きたい方はこちらをご参照ください。
※画像提供:Elix